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15. 思想家としての丸山圭三郎

 久々に丸山圭三郎の本を読んだ。ソシュールを理解する上で最良と言われる名著、『ソシュールを読む』である。やはり、丸山の解説には絶妙な「うまさ」がある。緩急自在のピッチングという感じで、専門的かつ難解な謎を突きつけてくるかと思えば、次の瞬間には同じ箇所を明解かつ軽妙な表現で解き明かしてみせる。そうして徐々にソシュール言語学の全貌が読者の頭の中に浮かび上がってくるのである。まさに名講義と呼ぶにふさわしい。
 かつて、私は丸山圭三郎の世界にどっぷりとはまっていた。もう十五年以上も前になるが、最初に読んだ『文化のフェティシズム』があまりにも面白かったので、『ソシュールの思想』、『生命と過剰』、『欲動』、『カオスモスの運動』と、片っ端から読んでいた。ソシュールの思想から出発して、独自の丸山思想が構築されていく軌跡を辿るのは、何とも言えない楽しみとなっていた。
ただ、最後の著作となった『ホモ・モルタリス』には、正直言って失望したのを憶えている。それまでは丸山圭三郎の思想の方向性が見えていたし、硬直化した世界(ノモス)を脱構築し、いきいきした世界へ向かおうとする可能性が感じられた。しかし、この作品では「死」をテーマとしており、しかも丸山にしては内容もあまりまとまっているとは思えない。私は急に行き先が見えなくなったような気がして、こう自問したものである。一体、丸山圭三郎はどこへ向かっているのだろうか、と。
そんな疑問を感じていた矢先、丸山圭三郎の訃報を耳にした。きっと丸山は自らの死を前にして、最後に自分の思想を完成させようと格闘していたのだろう。そして当然、死の問題は自分の思想の中で欠くことのできないテーマとなっていたに違いない。その後、私は自分の考え方の軸を現象学に据えるようになり、丸山の提示したような構造主義的思想から離れてしまった。
 あれから長い年月が過ぎ、丸山圭三郎の本を書棚の奥から取り出してみると、感慨深いものがある。そして『ソシュールを読む』を読むことで再認識したのは、丸山圭三郎の中にある、人のあり方に対する真摯な眼差しである。とかく構造主義系の本は主体性や意識を規定する社会構造の分析だけを提示したものが多く、私たちの日常的なあり方、実存に対して冷厳なところがある。しかし、丸山圭三郎の語る言葉の数々に身を浸していると、共同幻想としての社会や文化の構造が浮かび上がってくるだけでなく、人間のあり方における生の悦びへの可能性が見えてくる。そうした実存的な部分こそ、丸山圭三郎が本当に語りたかった思想の本質なのかもしれない。

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*丸山圭三郎の「ソシュール論」を知りたい方は → 丸山圭三郎「ソシュールを読む」
(重要な章のみ詳細に解説していますので、ソシュール言語学の基本的考え方がわかります)

*丸山圭三郎の独自な思想を知りたい方は、『文化のフェティシズム』(勁草書房)を読むことをお勧めします。これは丸山文化論のエッセンスがわかる名著です。その後、丸山は「生の円環運動」というモデルを作って、社会制度や文化の解体、再構築について語ることが多くなりますが、このあたりの話は『生命と過剰』が最も体系的です。ただし、「生の円環運動」モデルは理論的に問題が多く、思想ではあっても哲学原理とは言い難いのですが。