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04. うつ病と性格 -- メランコリー親和型 --

うつ病者は、過剰なまでに厳しい内的規範を形成し、いつも様々な「〓ねばならない」という自分のルールに従ってしまい、そのルールが要求している通りの行為ができなくなると抑うつ状態になる。そして、不眠、早朝覚醒、食欲と性欲の減退、激しい気分の変動、不適切な罪悪感、自殺念慮など、うつ病に特有の症状が現れてくるのである。彼らは過剰なまでに自分の責任、負い目を感じ、「もっと働かねばならない」「もっと頑張らねばならない」と感じながらも、朝は最悪の気分で目を覚まし、「〓ねばならない」を達成できない罪悪感、強い抑うつ感に襲われてしまうことが多いのである。

テレンバッハは、うつ病になりやすい性格の人々には秩序への特別な関わり方(秩序志向性)があるのだと、『メランコリー』の中で述べている。例えば、几帳面で何事においても完全主義であり、また責任感も強く、対人関係も細やかな配慮が行き届いている。私たちはそんな人と接していると、少し堅いが信頼のできる人間だと思うことが多い。しかし、それが過度の徹底性を帯びてくると、大丈夫だろうかと心配になるものだ。テレンバッハは、このような性格をうつ病になりやすい性格として、「メランコリー親和型」と呼んだのである。

「患者自身や患者が扶養している家族の外見は、例外なく地味さと清潔さを特徴としている。日常的な事物とのかかわりにおいては、周到な整理整頓が目立つ。職業生活は、勤勉、良心的、責任感、堅固などの標識によって規定しつくされている。対人関係にも秩序が行きとどいており、とくに、ときとしてほとんど臆病とすらいえるほどの慎重さの形で、つまり、いろいろな支障、摩擦、いざこざなどによって、とりわけいかなる形のものであれ自分が負い目を負うことによって雰囲気をこわさないようにという慎重さの形で秩序が重視される。」(テレンバッハ『メランコリー』)。

通常、私たちは几帳面を異常の現れだとは考えないし、むしろメランコリー親和型の人の特質は、周囲から高い評価を受けることが多いものだ。それは、彼らが、自分に対して過度に高い要求水準を持っているため、いつもよい仕事、きちんとした仕事を大量にこなす必要性を感じ、残業や休日出勤を繰り返すことが多いからである。しかし、そのために精神的身体的消耗は激しくなり、必然的に仕事の精度や量は落ち、どうしようもない行き詰まりの状態、最悪の抑うつ気分をもたらすことになる。

また、メランコリー親和型の人の対人関係は「他人のために尽くす」という関係であり、他人のためにだけ存在していると言っても過言ではない。他人に奉仕し、他人を喜ばせ、他人に贈物をするという行為によって満足感を得ている面があるのだ。心底から嫌われることを極度に恐れ、何か傷つけるようなことを言ってしまいはしないかと、何度も考えてみる。物を無条件に受け取ることができず、他人から尽くされた場合は何倍ものお返しをする。不義理は絶対に許されないし、社会に対しても違法を犯すなどということは避けたがる。彼らは罪に陥ることに極度の不安を抱いており、わずかの負い目も負うまいとするのである。

このように、うつ病になりやすい人は几帳面、働き者、真面目、親切、といった言葉で語ることができるのだが、それも一定の秩序に従っていることで安心感を得ている面がある。そのため、引っ越し、転職、結婚のような、それまでの秩序を大きく揺がす出来事は脅威となる可能性が高い。わずかな仕事の増加だけでも、その要求水準の高さゆえに苦悩を強いられることになり、うつ病になる危険性があるのだ。実際、会社で高く評価されていた人が、左遷やリストラといった事態に遭遇すると、うつ病になりやすいのである。

しかし、最近は軽症のうつ病患者が増えており、その人達は必ずしもメランコリー親和型と言えるほど、几帳面でまじめ、仕事熱心とは言えない場合も少なくない。その理由は、一つには社会規範が揺らいでいるため、従来のように勤勉であれば高く評価される、とも言い難い状況が生じているからであろう。そもそも、人一倍熱心に働いていたのは、他者からの承認や愛を求めていたからなのだが、今日の社会では一生懸命働くことが必ずしも高い評価を受けるとは限らない。すでにそうした価値観は崩れかけているからだ。だからこそ、労働の価値を高く見積もっている人は、ちょっとしたきっかけで軽症のうつ病になりやすいのであろう。

問題は労働に対して過剰な価値を抱いているというより、何らかの「〓ねばならない」に過剰な価値を抱いている、ということである。例えば、「働かねばならない」ではなく、「もっと遊ばねばならない」という過剰な規範にせき立てられる人もいる。人生を楽しんでいる人間こそ本当に優れているのであり、周囲からも認められるはずだ、という価値観を抱いていれば、当然そうなるはずなのだ。つまり、どんな「〓ねばならない」であろうと、それを遂行することが他者に認められ、愛されるという自我の欲望に繋がっていれば、それは十分に納得できるものとなる。しかし、この「〓ねばならない」が過剰に強すぎたり、歪んでいたりすれば、それはうつ病の原因となるのである。

ただ、うつ病は素質的なものが原因の場合もあるので、不合理な「〓ねばならない」だけを原因と考えることはできない。同じぐらい不合理な思考、過剰な「〓ねばならない」ルールを持っている人でも、抑うつ状態になるとは限らないからだ。うつ病の原因は脳内のセロトニンやノルアドレナリンの減少であると言われ、現在のうつ病治療の中心も、抗うつ剤による薬物療法なのである。特に軽症のうつ病者は、抗うつ剤だけで比較的短期間で治るケースも多い。実際、軽いうつ病の人には、内的規範の歪みもほとんど見られない。ただし、内的規範の歪みが大きな原因になっている場合は、不適切な思い込み、「〓ねばならない」の歪みを修正する心理療法が必要になるのである。