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04.「心理療法に共通原理はあるのか?」

現代の医療技術は科学の進歩にともなって飛躍的な発展を遂げており、精神医療もまた薬物療法を中心に大きな進展を見せている。しかしその一方で、カウンセリングや心理療法のような治療法に対しては賛否両論あり、いまだに評価は定まっていない。それは、複数の心理療法の学派(精神分析、行動療法、ロジャーズ派、他多数)が異なった理論を主張しており、一体どれが正しい理論なのか、それを科学的に証明できないことに原因がある。

一般的には、うつ病の増大、災害時のトラウマ、無差別殺人や家族内殺人の異常心理など、心の病に強い関心が集まっているため、ここ数年でカウンセラーの需要は急速に増え続け、「心のケア」の必要性を多くの人が感じるようになっている。しかし、各学派が主張している心理療法の仮説はどれも科学的に実証できないため、強い疑念を抱く人がいても不思議はないだろう。このため精神科医でさえ心理療法を軽視し、薬のみの治療を行なう人が少なくない。

薬だけの治療に頼るとすれば、根本的な苦悩の解決に至ることは難しい。薬物療法も重要な治療には違いないが、それは症状(不安、うつ状態、妄想など)を抑えるだけの対処療法の域を出ないからだ。人間の心理的な苦悩の多くは、考え方や価値観の歪み、その習慣化(身体化)による行動が原因であり、それを薬で治すことはできない。これに対して、代表的な心理療法はこうした思考や行動の歪みを修正するような治療法であり、たとえその理論が科学的に証明できないとしても、一定の治療成果はある。(そうでなければ、心理療法はとっくに滅びている。)

もし心理療法が人間の考え方や行動を変えるような可能性を持つとすれば、それは主観的な意味や価値を対象とする領域であり、およそ科学的な客観性とは相容れないのではないか、心理療法の理論は最初から科学的に実証されるような性質を持たないのではないか、と思う人もいるだろう。

確かに心理療法の理論は科学的に実証されるようなものではない。患者の考え方や価値観には、自己、他者、社会に対する彼の主観的な理解が反映されており、その主観的な理解を変えるためには、治療者の解釈や共感などの言動が大きな意味を持つ。そうした治療者の解釈が正しいかどうかはわからない。しかし、それでも治療者の考え方や態度によって、患者はある自己理解に突き当たり、それまでの考え方や価値観を変えることができる。そもそも客観的に正しい解釈など存在しないし、その治療者がどのような解釈をしようと、それはあまり重要ではないのだ。

だとすれば、心理療法の客観的な正当性が科学的に実証されず、また複数の異なった心理療法が競合しているとしても、何の問題もないことになる。どの学派の理論に基づく解釈であれ、患者が納得できる解釈であれば、一定の治療効果は期待できるからだ。実際、最近ではナラティヴ・セラピーのように、患者の主観的な理解(=物語)の多様性を認める心理療法も登場している。

しかし、あまりに常識から逸脱した解釈、偏った治療仮説であれば、患者がそれを信じることで、有害な影響を及ぼす可能性も否めない。現に有害無益な心理療法の存在もかなりの数にのぼるため、これは見過ごせない問題である。そのため、有害な仮説を淘汰するための何らかの基準が必要になる、と私は考えている。各学派が独自の仮説を使って治療するにせよ、一定の治療効果が生じた場合には、何らかの共通原理が働いているはずだ。それを明らかにすることができれば、この共通原理を含まない心理療法は不要なものと見なすことができる。

そんな共通原理など存在しない、あるのは多様な解釈だけだ、と反論する人もいるだろう。しかし、現象学の考え方を用いれば、心理的治療における治癒の本質、共通原理を明らかにすることができる。この論文は、現象学の思考方法(本質観取)を使って、心理療法の共通原理を考察したものである。(なお、『構造構成主義研究4 持続可能な社会をどう構想するか』に所収されているが、特に構造構成主義的な思考方法を使っているわけではなく、現象学的方法のみを使っている)。