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04. レヴィ=ストロース『野生の思考』

野生の思考

(2006.12.9:現代哲学研究会;山竹伸二)

第一章 具体の科学
抽象語の豊富さは文明語のみの特質ではない。例えば、北米北西部のチヌーク語では人や物の特質や属性を示すために抽象語を多用する。「悪い男が哀れな子供を殺した」が「男の悪さが子供の哀れさを殺した」となる。また、一般的用語のほうが種名にまさって用いられる場合、野蛮人の知的貧困の証拠と見なされがちである。例えばインディアンが有用または有害なものにしか名をつけず、その他のものは鳥、雑草などと呼ぶ場合など、有用でないものは名づけないのだと報告されている。しかし、それは有用でないというより、関心をよせるに値しない、と見なされているからであり、「有用」と「関心」は同じではない(前者は実用面に位置し、後者は理論面に位置する)。「用語の抽象度の差異は知的能力によって左右されるものではなく、一民族社会の中に含まれる個別社会のそれぞれが、細部の事実に対して示す関心の差によってきまるのである」(p.2)。

未開言語は一般的概念が欠如しているわけではない。「カシワ」「ブナ」などが抽象語であることは「樹木」が抽象語であるのと同じであり、一方には「樹木」という語しかなく、他方には「樹木」にあたる語がなくて樹木の種を示す語が何十何百とあるとしたら、概念が豊富なのは後者のほうだ。概念が豊富であるということは、どれだけ目覚めた関心を持っているかを示しており、このような客観的知識に対する意欲は、「未開人」と呼んでいる人々の思考について最も軽視されてきた。

「どの文明も、自己の思考の客観性志向を過大評価する傾向をもつ。それはすなわち、この志向がどの文明にも必ず存在するということである。われわれが、野蛮人はもっぱら生理的経済的欲求に支配されていると思い込む過ちを犯すとき、われわれは、野蛮人の方も同じ批判をわれわれに向けていることや、また野蛮人にとっては彼らの知識欲の方がわれわれの知識欲より均衡のとれたものだと思われていることに注意していない」(p.3)。

実際、多くの種族が直接自分に役に立たない植物に対しても関心を抱き、同一の属の中のいろいろな種の間の微細な差異まで区別する精密さを持っている。フィリピンのハヌノー族は土地の動植物について膨大かつ正確な知識を持ち、それらを分類・識別しているし(植物名の語彙は2000語近い)、ピグミー族、ホピ・インディアン、ナヴァホ・インディアンなどでも同じである。彼らの動植物に関する知識は実用性のみに由来するものではない。「動植物種に関する知識がその有用性に従ってきまるのではなくて、知識がさきにあればこそ、有用ないし有益という判定が出てくるのである」(p.12)。

このような知識の第一の目的は物的欲求を充足させるものではなく、知的要求に答えるものである。科学者は自然の中に秩序を見ようとするものだが、未開思考と呼ぶものの根底にも秩序づけの要求が存在する。そしてその秩序づけは、科学的観察、分析に近いものだ。呪術的思考が科学と異なる点は、因果性についての無知ないし軽視ではなく、逆に因果性追求の欲求がより激しく強硬なことにある。呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、科学はまずいろいろなレベルを区別した上で因果性を認める。呪術的思考は因果性の真実を無意識に把握していることのあらわれであり、因果性を認識する以前に、それに感づいていることを示している。これは科学に対する先駆けというだけでなく、科学が発達した段階に至らなければ自分のものとなし得ない方法・結果(感覚に直接与えられるもののレベルでの体系化)に対する先駆けとなっている。例えば、かつて未開人が直観的に体系化していた味や香りなども、現代の化学ではさまざまな元素の含有量や感覚閾値を測定することで説明されており、その感性の正しさが証明されている。

しかし、呪術は科学の発達の一段階ではなく、科学とは独立した体系、認識様式をもっている。呪術と科学は知的操作の性質は同じだが、適用される現象のタイプが異なっている。例えば(科学の存在しなかった)新石器時代における土器や農耕、動物の家畜化などの発達には、組織的な観察、仮説の検証、実験の反復による複雑な技術、そして科学的な精神態度、好奇心、知識欲が不可欠であった。なぜなら、観察と実験の中ですぐに役立つ結果が生じるのは、ごく一部に過ぎなかったからだ。しかし、新石器時代の認識は感覚的直観に近い道であり、現代科学の認識はそれから離れた道であるという違いがあるため、両者は異なった認識様式だと言える。(そのため、新石器時代と現代科学の間には連続性がなく、長い停滞期間があるように見える)。

親和や儀礼は現実に背を向けた幻想ではなく、「感性的表現による感覚界の思弁的な組織化と活用とをもとにしてなしえた自然についての発見である。このような具体科学の成果は、本質的に、精密科学自然科学のもたらすべき成果とはことなるものに限らざるを得なかった。しかしながら具体の科学は、近代科学と同様に学問的である。その結果の真実性においても違いはない。精密科学自然科学より一万年も前に確立したその成果は、依然としていまのわれわれの文明の基層をなしているのである」(p.21-22)。

原始的科学というより「第一」科学と名づけたいこの種の知識は、現在では「ブリコラージュ」(器用仕事)と呼ばれる工作の仕事に見ることができる。神話的思考とは一種の知的な器用仕事である。ありあわせの道具材料を用いて自分の手で作る人を「器用人」というが、彼らは仕事の計画に即して考案され購入された材料や器具がなくとも、持ち合わせの道具や材料で物を作ることができる。器用人の使う資材は一つの計画によって定義されるものではなく、潜在的有用性(まだ何かの役に立つ)によってのみ定義される。器用人は集めた道具と材料の全体を振り返り、何であるかを調べ上げ、道具材料と一種の会話を交わし、与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる解答を全て並べ出し、採用すべきものを選ぶ。それは、それぞれが何の「記号」となりうるかを掴む、ということだ。(例えば、オークの木片は足りないところを補う「埋め木」にも使えるし「置物の台」にも使える)。しかし、こうした転用の可能性は材料の歴史、転用による変形によって限定されている(事前拘束)。

科学者やエンジニアも限定された理論的知識や技術的手段によって事前拘束されているが、彼らは常にその拘束の向こうに超えようとする。それは、器用人が「記号」を用いて作業するのに対して、科学者やエンジニアは「概念」を用いて作業するからだ。器用人が前もって伝えられた情報(過去の経験の圧縮)を集めるのに対して、科学者やエンジニアは(経験のないところから)今までになかったもう一つの情報を引き出そうとする。「かくして概念は仕事に使われる資材の集合を開く操作媒体となるが、記号作用はその集合を組みかえる操作媒体であって、集合を大きくもしなければ更新もせず、ただそれらの変換群を獲得するだけにとどまるのである」(p.26)。

ソシュールによれば、記号とは心像と概念の結合である。心像はそれに伴う意識の行為と一義的に結合しているが、(概念と結びついて)記号、能記になった心像は、置換可能となる。「神話的思考は、心像(比喩)に足をとられてはいても、すでに一般化能力をもつものであり、したがって科学的でありうるということである。神話的思考も類推と比較をかさねて作業をする。ただし、器用仕事の場合と同じように、その創作はつねに構成要素の新しい配列に帰する。つまり、材料の集合の中にあってもでき上りの配置においても、その要素自体の性質はかわらない」(p.27)。同じ材料を使って行う再構成の作業の中では、前に目的であったものが、次には手段となり、所記が能記に、能記が所記に変わるのだ。

「神話的思考は器用人であって、出来事、いやむしろ出来事の残片を組み合わせて構造を作り上げるが、科学は、創始されたという事実だけで動き出し、自ら絶えまなく製造している構造、すなわち仮説と理論を使って、出来事という形で自らの手段や成果を作り出してゆく。だがまちがえないようにしよう。それらは人智の発展の二段階ないし二相ではない。なぜならば、この二つの手続きはどちらも有効だからである」(p.28)。(例えば、現代の物理学や化学は二次性質を知ろうとしているし、神話的思考も科学があきらめるような無意味に対して抗議の声をあげている。)

美術は科学的認識と神話的思考の中間に位置づけられ、美術家は科学者と器用人の両面を持っている。例えば、クルエの肖像画(写真1)は実物より小さく、縮減模型という性質がある。縮減模型では全体の認識が部分の認識に先立ち、「手づくり」であるがゆえに、鑑賞者に他の作り方の可能な変形の一覧表を潜在的に与えることになる。また、縮減模型は必然的にある感覚を犠牲にするが(縮小した場合は大きが失われ、絵画にした場合は空間性が失われる)、鑑賞者はこれを知的次元で再構成する。科学者が構造(仮説、物語)を用いて出来事を作るのに対し、器用人は出来事を用いて構造を作るのだが、美術はその中間的位置を占めるものであり、美的感動は構造と出来事の結合によって生みだされる。クルエの絵における襟飾りの美しさは、「事物」の内的な属性だけでなく、その背景、環境、時代などの「出来事」と結合し、これが「構造」へ統合されることによるものだ。(これに対して、神話はある構造から出発して事物と出来事の構成を企てる)。

第二章 トーテム的分類の論理
論理とは必然的関係の設定なので、各項が心理的過程もしくは歴史的過程のなごりの断片であり、必然性を欠いているような論理を考えるのは、いささか逆説的である。しかし、これらの断片が必然性を欠いて見えるのは、それを生み出した歴史の目で見るときだけであり、目的である論理の観点からすればそうは見えない。雑多不整だと言えるのは「内容」だけであり、「形式」については断片の間に類似性があるのだ。神話の用いる比喩も器用人の用いる材料も「すでに使われたもの」であり、「まだ使えるもの」である。また、神話の用いる比喩も器用人の材料も、純粋な生成過程から生じたものではなく、過去の必然的関係はその後これらの要素を利用する上で制約となるし、その必然性は単純かつ一義的なものではない。この論理の働き方は、断片を内蔵し構造的配列を作り上げる万華鏡に似ている。

このような論理の性格は民族誌観察の中に見ることができる。例えば、オジブワ族は超自然的世界の存在を信じているが、彼らにとってそれは超自然的ではなく、自然的秩序の中に入っている。ハワイの現地人が超自然的存在(精霊、神、霊魂)に抱く一体感も超感覚的ではなく、正常な意識に基づいており、彼ら自身も自分たちの知の「具体」性に鋭い感情を持ち、白人の知に対立させている。例えば、動物が何を求めているかを知っているとか、動物に教えてもらっている、など述べている。この具体的知識の実際的条件、手段、方法、その知識に浸透している情意的価値は、サーカスや動物園で働く人々など、われわれの身近にも見ることができる。以上のことからわかるのは、理論的知識は感情と両立しえないものではなく、認識は客観的でも主観的でもありうる、ということである。

デュルケームとモースによれば、ナヴァホ・インディアン(ズニ族)は生物を詳細に分類している。同じようにホピ族も動植物や自然現象を対応関係の一大体系によって分類している(p.49図表)。このような分類体系は、「未開人」は単純で粗野だという偏見がなければ、まだ数多く見出せるはずだ。これまで民族学者は、分類体系は低い経済的水準とは共存しないと考え、知的水準も経済的水準なみだと即断していた。しかし、このイメージは変えなければならない。「いかなる時代、いかなる地域においても、「野蛮人」が、いままで人が好んで想像してきたように、動物的状況をやっと脱したばかりで今なお欲求と本能に支配されっぱなしの存在であったことは、おそらくけっしてないのである。また、情意に支配され、混乱と融即の中に溺れてしまった意識でもない」(p.51)。彼らは思考能力のあらゆる操作に習熟し、ヨーロッパの古代および中世の博物学者や錬金術師に近い考え方をしているのだ。例えば、ヨーロッパの占星薬草術の分類を、多くのヨーロッパ人は長い期間をかけて築き上げた自然哲学だと考えているが、それはすべて異文化社会に見出すことができる。

民俗分類法は単に組織的であるだけでなく、現在も動物学者や植物学者が用いている分類法に似ている場合もある。神話や儀礼を解釈するためには、こうした分類を理解することが不可欠なのだ。例を二つ挙げよう。

1)北米の全域にわたってsageと呼ばれる植物が儀礼に用いられ、重要な役割を演じている。この俗称にはヨモギ属のいくつもの種類が含まれているが、ヨモギは月経不順、難産の治療に用いられる、女性、月、夜というコノテーションを持っている。それとは別に、男、太陽、昼、というコノテーションを持った一群の植物がある(男性生殖器の治療に使用)。そして、聖なる性格は個々の植物(群)に属するよりも、二つの植物(群)の組み合わせが意味を持って成り立っている。これによって、言語や文化が異なる北米の部族の儀礼における共通性が見出される。

2)ヒダツァ族の鷲狩は聖なる仕事とされているが、彼らはその技術を超自然動物から習ったという。神話によれば、その超自然動物は「熊」か「クズリ」(イタチ類の動物で、罠では捕らえられず、猟師の罠にかかった動物や罠そのものも面白がって持って行ってしまう)で、クズリだとすれば話はわかる。鷲は穴の上に置いた餌につられてやってくるが、餌をつかもうとした瞬間に、罠にかかった動物の姿勢をとっていた猟人が素手で捕まえる。人間は猟人でもあり獲物でもあるわけだが、これはクズリも同じであるからだ。クズリの棲息地から遠く離れた民族の神話においても類似した論理構造が見られるが、要するに、「要素は一定ではなく、関係のみが一定なのである」(p.64)。

神話や儀礼に出てくる動物、植物、鉱物、天体、自然現象を正確に同定するだけでなく、各文化が記号作用体系の中でそれらの要素に如何なる役割を与えているかを知らねばならない。何世紀にもわたって集められ、代々伝えられてきた細かな事実の集積のうち、体系の中で動物や植物に能記機能を与えるために採用されているものは一部だけであり、それを知らねばならないのだ。

南ボルネオのイバン族は、各種の鳥の鳴声と飛び方を解釈して予測を立てる。カンムリカケスのいそがしい囀りは焼畑がうまくゆく印であり、アジアキヌバネドリの警戒の鳴声は豊猟の前兆である。それは恣意的な意味づけであり、同じ事実に異なった意味づけを与えることもできるのだが、要素のレベルで恣意的であっても、体系には全体として一貫性がある。「要素事態はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方では歴史と文化的コンテキストの、他方ではそれらの要素が参加している体系の構造の関数である〔それらに応じて変化する〕」(p.65-66)。

似かよった動物が民間伝承の中ではよく違った意味を与えられている。種族が異なれば、象徴体系の中で同じ動物が、たとえば生息形態、気象との関連、鳴声など、相互に関係のない性質に基づいて、様々な用いられ方をされるのだ。(カラスを、農園を荒らす鳥と見る民族もあれば、動物の死骸や糞を食べる鳥と見る民俗もある)。分類の論理について、真実性のある仮説、現地人の解釈に合致することがわかるような仮設を立てうる場合もある。例えば、イロクォイ諸族のクラン(氏族)の分類は部族ごとに異なっているが、マスタープランを取り出すのは困難ではなく、それは水の諸クラン(カメ、ビーバー、ウナギ)、地の諸クラン(狼、鹿、熊)、空気の諸クラン(アメリカチョウゲンボウ、ボール?)の基本的三分割に基づいている。中部アルゴンキン族やウィンネバゴ族では、各々のクラン(の動物=トーテム)は、地、水、水中、低空、高空に対応する五つのカテゴリーに分けられる。

民族誌的調査によれば、「分類の原理に公準はない」というのが真実である。例えばオセージ族は動物や事物を三つのカテゴリーに分け、それぞれ、空(太陽、星、鶴、天体、夜など)、水(カメ、ガマ、霧、魚など)、地(白熊、ピューマ、鹿、鷲など)に結びつけられていた。「鷲」の位置は不可解に思えるかもしれないが、彼らの考え方では、鷲は稲妻に結びつけられ、稲妻は火に、火は石炭に結びつけられるため、鷲は石炭の支配者の一人として「地」の動物になるのだ。オセージ族の解釈のいくらかは(膨大な資料があるので)再構成が可能だが、クリーク族のようにほとんど絶滅してしまった部族の場合、再構成は困難である。そこには外的困難と内的困難がある。

外的困難は、分類の基礎になっている観察事実についてわれわれが無知であること(現地人が数個の要素の間に関係を立てるときの客観的性質を知らない)。内的困難は、いろいろな型の連結形式に同時にうったえる論理の多値性に由来する。例えばルアプラ族のクランは、動物名、植物名、加工品名をとって命名されているが、普通の意味で「トーテム的」ではなく、冗談関係で二つずつ結ばれている。豹と山羊(一方が他方を食べる)、きのこと蟻塚(一方が他方の上に生える)、など(豹は山羊より高い、といったクランの階層がある)。このような論理が要素の間に立てる関係は、隣接性と類似性に基づくことが多い点で近代の分類学に近い。しかし、これらの例には他の型の関係も入り込んでいる。関係には感覚的なもの(蜜蜂と蛇の体紋)と知的なもの(蜜蜂と大工に共通する製造機能)があり、蜜蜂は二つの文化で異なった抽象度のレベルで機能している。関係にはまた、近いものと遠いもの、共時的なものと通時的なもの、静的なものと動的なもの、などの別がある。「これら論理軸の数、性質、「資格」は、文化によっておそらく違う」(p.75)。

以上のように、トーテム的論理固有の困難は二つある。〓問題になっている植物や動物が正確に一体何なのか、われわれは知らない(体系の中で各要素に与えられる位置は、変種ないし亜変種レベルで規定するような形態上の特徴や行動にかかっているから)。〓種、変種ないし亜変種のそれぞれは、象徴体系の中で異なった多数の機能を果たすことができ、そのうちいくらかのものだけが実際に利用されるのだが、この様々な可能性の全容はわれわれにはわからない。

最後に、「トーテム的」分類の困難を検討する。概念体系の運命は、常にその後の人口変動次第で変化するものだが、概念体系は共時態の中に成立するのに対して、人口変動は通時態の中に展開する。トーテム体系の共時的構造は通時態の働きによって傷つきやすいのだ。例えば、亀(水)、鷲(空)、熊(地)の三つの氏族(クラン)に分かれていた部族があるとしよう。各氏族には動物名がついているが、その動物は一つの自然元素を象徴する。人口変動があって、熊の氏族は全滅し、亀の氏族は大幅に増え、結果、亀の氏族が二つのクランに分裂し、それが氏族に昇格したとすれば、その新しい構造から元の図式を探すことはできない(p.80の図を参照)。このような大変動があると、三つの氏族名は宇宙論の面で持っていた意味を失ってしまうことが多い。しかし、構造への志向がこの衝撃に耐える場合、体系を立て直す手段はいくつか保持される。当初の方向性は、神話や儀礼を通じて、新しい構造の中に保たれるのだ。例えばオセージ族の伝説は、歴史的変成の構造的調整を示している。未開民族と呼ばれている人たちの制度の性質は、通時態と共時態、出来事と構造、美と論理のそれぞれから常に適当な距離にある。それは一面だけで定義しようとする人には理解できないものなのである。

第八章 再び見出された時
これまで様々な手続き方法の一覧表を作ることに努力してきたが、その全体を見渡すとき目につくのは、手続き方法を結び付けている関係の体系性である。この体系は「内的整合性」と「無限の拡張能力」という二面性を持っている。私が例に挙げたどのケースでも、一つの軸は構造を支えており、その軸は一般を特殊に、抽象を具体に結び付けているが、分類意図はそのどちらへ向かっても極限にまで進みうる。分類意図が一般性と抽象性が最大になる方向へ向かうときは、現実世界は徐々に純化され、二項対立の形をとる。特殊性と具体性の方向へ向かうときは、固有名に至るまで、分類項として役だ立たぬものはない。

以上の説明でわかるように、これは一つの総体的体系であり、分類をトーテミズムの一特殊形態として考えるわけにはいかない。トーテミズムこそ、分類の一面もしくは一時期を構成するものなのである。コントは「野生の思考」を歴史の一時期(フェティシズムと多神教の時代)のものとしているが、「私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である」(p.262)。コントは民族誌の情報を持たなかったので、野性の思考を栽培思考に先立つ精神活動様式として捉えてしまった。しかし、両者は共存し、相互に貫入しうるものである。現在なお野生の思考が保護されている領域として、芸術を挙げることができるし、社会生活の中にもこれにあてはまる領域はたくさんある。野生の思考を規定するものは、激しい象徴意欲であり、全面的に具体性へ向けられた細心の注意力であり、継続的関心に基づいているのだ。

効率のある実際的活動は客観的で、有効性のない呪術的儀礼的活動は主観的だ、と世間では考えられているが、行為主体の立場から見れば逆である。呪術操作を行う人間にとって、呪術は自然要因の連鎖と同じ必然性を持つ(つまり客観的)。また、宗教が自然法則の人間化(擬人化)であり、呪術が人間行動の自然化(擬自然化)であるなら、呪術と宗教は二者択一の両項でも発展過程の二段階でもなく、二つの分力であり、その配分だけが変化する。呪術のない宗教はなく、宗教の種を含まぬ呪術もないのだ。未開人と呼ばれる人々が自然現象を観察したり解釈したりするときの鋭さは、文明人には失われた特別な感受性といったものによるのではない。かすかな手がかりから獣の通った跡を見つけるアメリカインディアンのやり方は、われわれが自動車を運転していて、車輪のごくわずかな向きやエンジン音の変化から、いま相手の車を避けなければ、などととっさに判断するやり方と変わらない。それは、自分の気持ちに似た相手の気持ちが記号の形で表され、懸命に解読しようとすることによるのである。

「こうなれば、もっぱら具体性に向けられた綿密細心な観察が、象徴体系の中に原理と帰結とを同時に見出すことはすぐ理解できる。野生の思考は観察の時点と解釈の時点を区別しない。それは、話相手の発する記号を観察によってまず記録し、しかる後にそれを理解しようとするのではないのと同じである。相手が話せば、われわれの耳にきこえる音声は同時に記号化作用を運んでいる。言語音声を分解して取り出される要素の一つ一つは記号ではなく、記号を作る手段である。それは弁別単位であって、ほかの単位に入れかえると、かならず意味が変化してしまう。しかしその単位自体は意味の属性を含んでいる必要はなく、他の単位との結合や対立によって意味を表現するのである」(p.267)。 *この箇所は明らかにヤコブソンの音韻論(言語の本質は言語の音自体の実質にあるのではなく、弁別特性=言語の音と音との関係において意味が生じることにある)に影響を受けている。

分類体系を意味の体系とみなすこの考え方をはっきりさせるには、「トーテミズム」と「供儀」の関係を考えればよい。宗教学ではトーテミズムが供儀の起源と考えられてきたが、両者は明らかに異なっている。供儀は連続的移行を認める体系であり、犠牲としては、瓜は卵に等しく、卵はひよこに等しく、ひよこは鷄に等しく、鷄は山羊に等しい。これに対して、トーテミズムでは関係は常に双方向であり、牛と瓜の両者を含む氏族があるなら、そこでは牛は瓜と等価値であり、二つを同一視することはできない。トーテミズムは並列的な二系列(自然種と社会集団)の間に仮定される相同性に基礎を置いており、この二系列の各項二つずつが似ているのではなく、両系列の全体的関係が同形なのである(体系間の形式の相関性)。供儀の場合、自然種の系列は供儀執行者と神の仲介者の役割を果たし、両者の間にはいかなる関係(相同性)も存在しない(p.270図)。供儀の目的は関係の設定であり、犠牲の神聖化によって人間と神の間に関係が確立されると、次に同じ犠牲を破壊することで関係を断ち切り、連続性を解消する。トーテミズムは対応関係であり、供儀は操作の体系である、と言うのでは不十分である。トーテミズムにおける分類体系はラングのレベルに位置しており、意味を表現するためのコードである。それに対して、供儀の体系は個別的なディスクール(パロール)であり、しばしば大声で叫ばれるが、良識(正しい意味)を欠いている。

トーテム制の起源神話は、地域的には遠く離れ、話の筋が違っていても、同じ教訓(次の3つ)をもたらすものだ。〓これらの制度は両系列間の総体的対応に基礎を置くものであり、各項の個別的対応に基づくものではない。〓この対応は隠喩的関係であって換喩的関係ではない。〓各系列から予めいくつかの要素を消去して単純化し、その内的不連続性をハッキリさせなければ、対応関係は明確にならない。各氏族固有の呼称を説明する氏族名神話は世界中どこでも似かよっている。特に単純さが似ており、ほとんどの神話は、これこれの道を辿ったとか、これこれの場所でこれこれの行為を行い、そのために今の地形ができたとか、その過程の記述だけになっている。脇道の話がなく簡潔であり、物語は大枠だけに限られている。また、起源や原因を本当に説明するのではなく、起源もしくは原因をある一つの種に「標識づけ」することで、(氏族名などの)価値を獲得する。特殊な原因があるのではなく、単に原因があるというだけであり、歴史は構造の中に目立たない形で入りこんでいる。トーテム神話が単純なのは、神話の一つ一つがもっぱら差異を差異として設定することだけを役割とした、体系の構成単位だからである。意味の問題が出てくるのは、個別的な神話一つ一つのレベルではなく、それらが構成要素となって作り上げる体系のレベルなのだ。

トーテミズムが教えてくれるのは、構造そのものは出来事に屈して消滅しても、構造の形式は生き残ることがある、ということだ。トーテム分類は集団を原系列(動物種と植物種を含む)と派生系列(人間集団を含む)に分けている。原系列は派生系列より前から存在し、動物種および植物種として、通時態の中に人間系列とともに生き続け、派生系列に起こる変化を解釈したり修正するための基準となる。歴史が体系に従属するのである。それに対し、歴史の側に立つとき、派生系列は原系列を写すのではなく、派生系列と原系列は一緒になって一つの系列を作り、この系列の各項はその前にあった項に対する派生項となる。有限で非連続な二系列の間に恒久的相同性を立てるのではなく、ただ一つの系列の中に連続的進化を考えるのである。たとえば、ヨーロッパとアジアの大文明地域では、自らを歴史によって説明することを選択したため、トーテミズムにつながるようなものは痕跡さえ存在しない。

「私はほかの所で、「歴史なき民族」とそれ以外の民族を分けるのはまずい区別であって、それよりも、私の話に都合のよい呼び方で言うなら、「冷い」社会と「熱い」社会とを区別する方がよかろうという考えを述べておいた。冷社会は、自ら創り出した制度によって、歴史的要因が社会の安定と連続性に及ぼす影響をほとんど自動的に消去しようとする。熱い社会の方は、歴史的生成を自己のうちに取り込んで、それを発展の原動力とする」(p.280)。

あらゆる社会が歴史の中にあり発展してゆくものだというわけではないし、初原的状態を可能な限り恒常化しようとする社会もある(そのため原始的と呼ばれてしまうのだが)。それが「冷い」社会であり、その目的は、時間的順序が連鎖それぞれの内容にできるだけ影響しないようにすることである。そのためには、「冷い」社会では制度によって偶然的な人口要因の影響を制限し、集団内および集団間の対立を緩和し、個人的集団的活動の枠を恒久化するだけではなく、経済的社会的大変動を生じるような事件の連鎖が生じた場合、ただちにそれを破壊するか、その連鎖の形成を予防する方法を持っていなければならない。その方法とは、歴史的生成を認めはするのだが、内容のない形式として認めるのである(以前と以後は区別されるが、相互に反映しあうという意味しか持たない)。

神話に現れる歴史は、現在に対して離接的(最初の先祖が人間とは違った属性を与えられている)でもあるし連接的(先祖の出現以来、回帰によって周期的に特殊性が消されてしまうような出来事しか起こっていない)でもある、という矛盾を示している。この矛盾を解決する方法が儀礼である。儀礼があるおかげで、「離接的」過去は、一方で生理的季節的周期性に、他方で生者と死者を結ぶ「連接的」過去につながるのである。シャープによれば、儀礼は、〓調節儀礼(解き放つ精霊を定めることで、トーテム種やトーテム現象を多くしたり少なくする)、〓歴史儀礼(神話時代の神聖祥福の雰囲気を再現する)、〓喪葬儀礼(生者であることを止めた人間を祖先に逆転換させる)の三種類に分けられる。儀礼体系は三つの対立(共時態と通時態、周期性と非周期性、可逆的時間と非可逆的時間)を克服統合するのだ(p.285図)。神話にあらわれる歴史は、それが事実ではない場合でさえ、歴史の出来事固有の諸性質を純粋状態において提示することに変わりはない。未開民族と呼ばれている人々は、非合理性を合理性の中に収容するための理に適った方法を作り上げたのであり、分類体系は歴史を組み込むことを可能にするのである。

第九章 歴史と弁証法
野生の思考は全体化作用を持ち、それはサルトルのいう「弁証法的理性」より強い。弁証法的理性は集列性(例えばバス停で並ぶ人たちなど、最低限の必要性のみによって「私たち」と呼ばれる集まり)をつかみえず、図式性を排除するが、分類体系は集列性を取り込み、図式性において完成を見る。「私の考えでは、人間に関するもの(さらには、生きているもの)は何一つとして局外に止まることを許さぬという野生の思考の強硬な拒否の態度にこそ、弁証法的理性はその真の原理を見出すのである。しかしながら、弁証法的理性についてのこの私の見かたは、サルトルとは非常に異なっている」(p.294)。

サルトルは弁証法的理性について二つの考え方の間を揺れ動いている。一つは、分析的理性と弁証法的理性を誤謬と真理の如くに対立させているが、彼はそれを分析的理性(科学的な分析を主とする理性)によって理論づけようとしており、ここには矛盾がある。もう一つは、二つの理性を相補的なもの、同じ真理に到達する二つの道としているが、ならばなぜ二者を対立させたり、弁証法的理性の優位性を宣言するのは無意味に思われる。いずれにせよ、サルトルの考えでは、弁証法的理性は分析的理性とは独立に存在している。しかし、マルクシズム的立場からすれば、この両理性の対立は相対的であって絶対的ではない。弁証法的理性は、分析的理性が深淵に架け渡し、たえず延長し改善してゆく橋なのである。「私にとって、弁証法的理性とは分析的理性以外のものではない。またその点にこそ人間的秩序の絶対的独自性の根拠がある。弁証法的理性とは、分析的理性の中においてつけ加わるあるものなのである。すなわちそれは、分析的理性が人間的なものを分解しようとするとき要求される条件である」(p.296)。

サルトルは、歴史ある社会の弁証法を真の弁証法とし、未開社会における反復的で短期の弁証法と区別する。あるいは、歴史ある人類が、意味を欠いていた歴史なき人類に意味の祝福を与えるものとする。いずれにせよ、風俗、信仰、慣習の驚くべき多様性は捉えられないし、人間の生の意味と尊厳は西欧社会の中に凝縮されていることになる。しかし、「それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信じるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。人間についての真実は、これらいろいろな存在様式の間の差異と共通性とで構成される体系の中に存在するのである」(p.299)。

自我の明証性の中に自らの位置を定める者は、もはやそこから出ることはできない。しかし、サルトルは自分のコギトの虜囚となっている。サルトルが安易な対比によって未開人と文明人を区別するやり方は、彼が自己と他者の間に設定する基本的対立を反映しているし、その表現法はメラネシアの野蛮人のやり方と大差ない。また、サルトルはそこに生きている人々の立場に身を置き、その意図と原理を理解し、一つの時代ないし一つの文化を一つの「意味する総体」と見るのだが(そうした実践面では教えられるところも多々あるのだが)、サルトルの事例は西欧文化だけに限られており、異文化社会についてはあてはまらないことが多い。未開人が複合的認識を持ち、分析や論証の能力を持つことは、サルトルには我慢ならないようだ。しかし、理性はすべて弁証法的なものであり、弁証法的理性とは活動状態にある分析的理性である。その意味では、弁証法的理性はどのような社会にも適用できる。

われわれが異文化社会を考察する時、その他の社会を考察する時以上に、無意識的目的性に直面する。それは歴史にはまったく捉えられず、言語学や精神分析学によっていくらかの面が明らかにされるにすぎない。言語学はわれわれに、弁証法的で全体化性を持つが意識や意志の外にある存在(ラング)を見せてくれる。非反省的全体化であるラングは、独自の原理を持っていて人間が知らぬ人間的理性である。言説は言語法則の意識的全体化の結果ではなく、後から全体性へ遡行してそれを知るだけなのだ(だからその言説の目的は無意識的であったと言える?)。民族学でも、まず生きた事実を観察して現在の中で分析し、できるかぎり過去に遡行して歴史的事情をつかむように努め、意味する全体性の中に組み入れる。次に、分析的理性は弁証法的理性に変身する。理性が柔軟化し、拡大し、強化されると、予想外の対象が他の対象と同じ線に並べられ、この独自な全体性が他の全体性と融合することが期待され、弁証法的理性が新たな地平を展望しうるという期待が持てる。

民族学者は歴史を尊重するが、特権的価値を与えることはない。民族学と歴史学は相補的関係にあり、一方は多様な人間社会を時間の中に展開し、他方は空間の中に展開するものであり、その差は見かけほど大きくはない、と考えるのだ。この対称関係を承認しない哲学者もいるが、彼らは時間の次元に特別な権威を与えてしまう。民族学者が多様な社会形態を空間に展開されたものとして把握する時、その多様性は不連続的体系の様相を呈しているが、歴史が行う復元作業では、個々の状態は切り離されておらず、連続的に変化する形を想像する。しかも、われわれは自分の生成を連続的変化と考えているので、歴史的認識は内的感覚の明証性に合致する(実際には、こうした自我の連続性は、社会生活の要請によって維持されている幻想にすぎない)。

歴史家は史実の構成において選択をする。歴史が意味を求めるものである限り、地域、時代、集団、集団の中の個人を選ばねばならないし、それを連続体の上に描かなければならない。それゆえ、歴史はつねに何かのための歴史であり、必ず偏向性を持ち、部分的であらざるを得ない。また、歴史認識の特質はコードの欠如などという幻想にはなく、そのコードの特殊性にある。歴史学のコードは年代である。年代コードには次の3つの性質がある。〓日付は継起性の中での一瞬間を表示する。〓日付は至近間隔にある他の日付との間の距離を表現する。日付が多用される時期もあれば、さほど使われない時期もある。〓日付は一つのクラスの成員となる。クラスの中で日付の一つ一つが他の日付対して有意性を持ち、異なるクラスの日付から見れば有意性がない。例えば、1685年という日付は1610年、1648年、1715年と同じクラスに属するが、第一千年紀、第二千年紀などで作られるクラスに対しては意味を持たない。しかし、日付そのものは回帰性がないので歴史家のコードとはならない。(温度変化は数字によるコード化が可能だが、それは温度目盛を数字で読むと、昔の状況の回帰を呼び起こすからであり、零度の目盛りを読めば、凍るような寒さを思い浮かべる)。歴史家のコードは日付の集まりとしてのクラスなのであり、日付の一つ一つは他の日付との間に複雑な相関を保ち、それゆえにこそ意味を持つ。17世紀は他の世紀との対比によって意味を持ち、近代は中世や古代と対比してのみ意味を持つのである。

「野生の思考の特性はその非時間性にある。それは世界を同時に共時的通時的全体として把握しようとする。野生の思考の世界認識は、向き合った壁面に取りつけられ、厳密に平行ではないが互いに他を写す(そして間にある空間に置かれた物体をも写す)幾枚かの鏡に写った部屋の認識に似ている。多数の像が同時に形成されるが、その像はどれ一つとして厳密に同じものはない。したがって像の一つ一つがもたらすのは装飾や家具の部分的認識にすぎないのだが、それらを集めると、全体はいくつかの不変の属性で特色づけられ、真実を表現するものとなる。野生の思考は、imagines mundi(世界図――複数)を用いて自分の知識を深めるのである。この思考がいくつかの心的建造物を作り上げると、それらが世界に似ておれば似ているほど、世界の理解が容易になる。この意味において、野生の思考を類推思考と定義することができたのである」(p.317)。

歴史認識を駆り立てる連続性への関心は、もはや不連続的・類推的認識のあらわれではなく、それは間隙充填的・統合的認識が時間の次元に見せる姿であり、対象を相互に結びつけて不連続性を克服し、間隙を縮めて差異をなくそうとする。これは分析的理性と呼ばれるのにふさわしい。異文化社会を外から見る人間も、つねに不透明性に直面し、それゆえ自らの観察の欠落部分をポジティヴな属性という形でその社会に投影してしまう。

加入儀礼は全世界を通じて共通の考え方を持っている。まず、家族から切り離した新加入者を象徴的に殺し、森か荒野に隠し、そこで他界の試練を受けさせる。その後、彼らは結社の成員として「生れなおす」のである。この現象全体を、実践のとりもちにつかまっている証拠と解釈したい気持ちになるだろう。しかし、加入儀礼を持つ社会では、誕生や死は豊かで変化に富んだ概念化作用の材料を提供するのに対して、逆に科学的な実践の方が、死や誕生の観念から生理過程に対応するもの以外は除去している。また、近い姻族間の肉体的・言語的接触を禁止することは頻繁に見られる慣習だが、これに対して民族学者は自分の社会の慣習と比較して考察しようとする。しかし、異文化社会の慣習は他の慣習と互いに結合された形で現れるので、われわれにはわかりにくい。この場合、女性を与える人間の地位は社会的優位性を伴い、女性をもらう方は下位に置かれる、という構造が共通しているのだが、それが見えにくいのである。

近年に至るまで、未開人の世界とわれわれの世界との間の差異は、あたかも未開人の精神的・技術的劣等性を示すもののように捉えられてきた。しかし実際には、その差異はむしろ彼らを現代の情報検索理論の専門家と同一平面に置くものである。物理科学によって、意味の世界が絶対的対象としての性格を備えたものであること明らかにされたが、それによって、未開人が世界を概念化する方法が斉一性を備えているだけでなく、「不連続的複雑性を基本構造とする対象」を処理するとき必ず必要になる方法だと認められるに至った。「野生の思考はわれわれの思考と同じ意味において、また同じ方法によって論理的なのである。ただ、われわれの思考が論理性を発揮するのは、物理的属性と意味的属性を同時に認めた世界の認識に適用される場合に限られる」(p.323)。(*いずれの思考も物理的現象の意味=メッセージを対象として働くということか?)。

野生の思考と科学的思考という二つの知によって、自然界は、具体的なアプローチ(感覚特性による見方)と抽象的なアプローチ(形式的特性による見方)という二つの道を持つ。前者は農業、牧畜、製陶、食物の保存と調理法などの知であり、後者は現代科学の源になった知である。二つの道は、理論的には合流して一つになるべきものであった。「今世紀のなかばに至ってようやく、コミュニケーションの迂回路をとって自然界(物理的世界)に接近する道と、最近発見された、物理学の迂回路を通ってコミュニケーションの世界に近づく道という、長らく別々だった二つの道が交わったのである。人知の全過程は、こうして閉鎖体系の性質をもつに至る。科学精神は、そのもっとも近代的な形において、科学精神のみに予見しえた出会いにより、野生の思考の原理の正当化とその権利の回復に貢献しうるものである。それを認めることはすなわち、野生の思考の教えへの忠誠をまもることにほかならない」(p.325)。