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05. システム論アプローチと心理療法

家族療法の現在

家族療法とは、問題をクライアントだけのものとして治療するのではなく、家族における人間関係の問題として面接、指示を行う心理療法全般を指しており、その方法は多岐に渡っている。ここでは、ポール・ワツラウィック、ジョン・ウィークランド、リチャード・フィッシュらが開発した、現在、最も有力な家族療法であるMRIの技法を中心に整理してみたいと思う。かつての家族療法は、「健康な家族」という理想を設定していることが多く、問題は「壊れた家族」の建て直しだと考えられていた。しかし、MRIのアプローチにおいては、「健康な家族」や「壊れた家族」といったものは最初から問題になっていない。彼らの家族療法が目指しているのは、家族の関係をほんの少しだけ変化させ、問題を解消させること、それだけなのである。

「健康な家族」「理想的な家庭」を治療目標におけば、どこかで無理が生じてしまうだろう。ワツラウィックによれば、現実は人々の間で構成されたものであり、理想的な家族などというものは存在しない。家族において現実と思われているものは、家族の間で構成された物語が固定しているために、変えがたい現実だと錯覚されているに過ぎないのである。客観的で変わらない現実など存在しないのであり、家族の間でのルールや行動パターンを変えていけば、いつでも新しい現実の再構成が可能になる。これがワツラウィックの提唱する構成主義である。そしてこの構成主義を主張するMRI家族療法は、単に家族療法の主流であるだけでなく、現在、心理療法の世界全体に大きな影響を与えつつある。

もともと家族療法は、家族の深層構造に問題があると考え、それを発見、修正することを目的としていた。しかし、スティーブ・ドゥ・シェイザーによれば、それはフロイトの影響下にある全ての心理療法にみられる構造主義的な古い発想であり、MRIの家族療法(構成主義)においては、家族の深層構造(無意識の構造)や原因を探ることはせず、問題の解決のみに焦点を当てている(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)。その意味で、思想的には構造主義を批判したポスト構造主義に近いというのである。

確かにエディプス構造を基準にしていない点でアンチ・エディプス的であり、ポスト構造主義的と言えなくもない。しかし、コミュニケーションによって現実が構成されるという考え方は、何もポスト構造主義だけの専売特許ではなく、現象学的社会学やエスノメソドロジーにも共通している。ポスト構造主義は現実の構成より解体にポイントを置いている面が強く、家族療法の実践家が称揚するのは、少し疑問を感じてしまうところである。

90年代に入り、アメリカの心理療法の領域では構成主義がますます影響力を強め、ナラティブ・セラピー(物語療法)のケネス・ガーゲンらのように、より強くポストモダンを掲げる人々も増えている。しかし、本来、MRI家族療法の源流にあるのはミルトン・エリクソンとベイトソンの理論であり、他にラッセルの論理階型理論、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論、ベルタランフィの一般システム論が大きな影響を与えている。次にこれらについて簡単に説明しておこう。


家族療法の基礎理論

ミルトン・エリクソンは患者の欲求や認知の枠組みを鋭く見抜き、その場の状況に応じて暗示や逸話、比喩などを用いて解決へと誘導する、天才的な催眠療法家であった。彼の指示的な技法は非指示的なロジャース流のカウンセリングと対照的であり、家族療法の指示的技法に大きな影響を与えている。また、他の心理療法が何十回にも渡ってセラピーを行うのに対し、驚くほど短期間(10回前後)で治療を終えるやり方を実践し、後の短期療法の源流ともなっているのだ

この考え方がアメリカ社会で普及した背景には、単に治療戦略上で有効だったというだけでなく、何十回もセラピーに通うほど、一般の人たちには時間的にも経済的にも余裕がなかったことによるらしい。だとすれば、同じような理由から短期療法が日本や他の多くの国々に普及されていく可能性があることは間違いないかもしれない。ともあれ、エリクソンのセラピーが驚くほどの成功率を誇っているのは、彼自身のセラピストとしての天性による部分も多く、誰もが実践できるとは言い切れない面もある。また、体系化もしっかりなされていない面もあり、詳述することはやや困難である。

次にMRI家族療法のパラドキシカル・アプローチに大きな影響を与えた、グレゴリー・ベイトソンのダブル・バインド理論について説明しておこう。ダブル・バインド(二重拘束)とは、〓2人以上の濃密な人間関係(おもに親子関係)において、〓最初に否定的な命令が出され、〓次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令が、最初とは異なる水準で出され、〓その矛盾する事態から逃げてはならないという第三の命令が出される。〓この経験が繰り返され、〓ついにこのような矛盾したかたちで世界が成立しているのだと感じ始める、という状況のことを指す。

例えば母親に抱きつこうとした子どもに対し、母親が一瞬、身を引いたとすれば、その母親の反応は「嫌いだから来るな」という言外のメッセージを出していることなる。しかし、子どもがその命令に従って抱きつくのをやめれば、「どうしてママにキスをしてくれないの?」と最初のメッセージと矛盾する命令を出し、しかも親子である限り、この矛盾する2つの命令を無視することができない、という状況がダブル・バインドである。

ベイトソンによれば、この状況が幼いときから繰り返されれば、その子が分裂病になる確率は高くなるというのだが、分裂病の原因論としてだけ考えるには問題が多く、むしろ精神障害全般に影響を及ぼす状況と考えるべきであろう。何故なら、現実が他者とのコミュニケーションによって構成されているとすれば、それは幼少期における親とのコミュニケーションが決定的な役割を果たすことになるからだ。そのため、幼少期にダブル・バインド状況が繰り返されれば、世界に対する確かな感触、現実感を損なう可能性が生じるのである。したがって、現実が共同幻想に過ぎないとしても、他者との間に成り立っている共同幻想は不可欠なものであり、また現実が共同幻想であるからこそ、動かし難く見える現実も変えうることができるのだ。

ダブル・バインド理論をもう少し詳しく言うと、このパラドックスは2番目のメッセージが最初のメッセージ自体に言及していることによって起こることがわかる。例えば「私はいつも嘘をつく」という発言は、私が本当にいつも嘘をつくのであればこの発言自体も嘘であるから、いつも嘘をつくわけではないことになり、明らかに矛盾してしまう。「私はいつも嘘をつく」という発言とこの発言自体についての言及は、論理のレヴェルが違うために自己言及性のパラドックスに陥らざるを得ないのである。ラッセルの論理階型理論によれば、このパラドックスの原因は要素(メンバー)とその要素を含んだ集合全体(クラス)の混同によるものだ。「私はいつも嘘をつく」という発言の内容がメンバーなら、この発言がどのような状況で使われたのかは、様々な発言の集合全体(クラス)についての言及なのである。

ダブル・バインド理論とともに、家族療法の技法に絶大な影響を与えているのが、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論である。言語ゲームとは「言語と言語の織り込まれた諸活動の総体」であり、挨拶や命令、呼びかけ、感情表出等々、ほとんどの人間活動(ふるまい)を指している。その中で重要なのは、言語の意味はその言語の使用によって決まる、という考え方だ。

例えば、家の中で「リンゴ!」と叫べば「リンゴが欲しい」という意味になる。その言葉が何を意味するのかは、その言葉自体の中にあるのではなく、その言葉がどのような状況で使われたかによるのである。家の中で子どもが「リンゴ!」と叫ぶことは、「リンゴが欲しい」という親への要求を意味し、それに対して親がリンゴを差し出せば、そのようなルールの言語ゲームが行われていることになる。勿論、そのルールはある日ある時に決められたわけではないし、親も子もそのルールに自覚的に従っているわけでもない。むしろ親と子がこうした行動を繰り返すことで、このようなルールの言語ゲームになっているのだ。

では、横暴な息子が「リンゴ!」と叫んだ時、意表をついて顔面にぶつけてやれば、ひょっとすると家庭内暴力も解決するかもしれない。それが暴力を逆なでしてしまうなら、彼に近づいて「ゴリラ」と言ってみれば、「しりとりゲーム」になる可能性もある。少し例が悪かったようだが、要するにふるまいや行為を変えることで、言語ゲームのルールは変わり、新しい関係へと繋がる可能性がある、ということなのである。家族内の問題は、必ず何らかの家族ゲームによるものだとすれば、この理論の応用範囲は限りなく大きいと言わざるを得まい。

最後にベルタランフィの一般システム論について触れておきたい。システムとは、ある目的のために集められ、組み合わされた諸部分からなるものであり、〓変換性、〓全体性、〓自己制御性、の3つの性質を持っている。自己制御性とは、システム内に問題が起きても、システム自身が何とかしようとする性質であり、これが時に問題を大きくしてしまうのだ(偽解決)。

例えば家族というシステムの場合、家族の問題は家族内で解決しようとして、かえって悪循環に陥ることも多いのである。しかし、この悪循環さえ断ち切れば、家族システムは外的な条件に合わせて変化し(変換性)、自己制御性によって安定化へ向かうのだ。したがって家族療法では、家族システム内の悪循環にだけ介入し、後は家族システムが勝手に安定していくように仕向けるのである。多くの心理療法は個人の中に原因を求め、問題を個人の内的な原因に還元するのだが、家族療法はそうではない。システム論的に考えれば、問題は個人の中ではなく、他者との関係にこそあるのであり、関係を変えることこそ治療の鍵になるのだ。


家族療法の治療戦略

MRI家族療法の治療目標は、家族の間でのルールや行動パターンを変えることで、悪循環を繰り返す家族の現実を変化させ、その家族にとっての新しい現実を再構成することにある。治療、助言を求めて来談する人の家族には、必ず問題行動を起こす人物がおり、何とか解決しようとしてもうまくいかない、と訴える。そして、その家族の解決方法は問題行動を止められないだけでなく、むしろその繰り返しによって助長していることが多いのだ。

このような悪循環の原因となるような解決方法を、家族療法では「偽解決」と言う。問題行動 → 偽解決 → 問題行動 → 偽解決...という繰り返されるコミュニケーション・パターンが、家族にとって変えがたい現実だと感じさせているのである。逆に言えば、この当たり前だと思われているコミュニケーションの意味づけや行動パターンを変えることができれば、悪循環を断ち切ることも可能となる。悪循環を繰り返す言語ゲームのルールを変え、新しい言語ゲームに変えていくことができるはずなのだ。

手順としては、まずクライエントとの初回面接において、問題が何であるのかを聴取し、どのような偽解決が悪循環を生み出しているのかを探る。その際、ただ共感的に多く長く聞けばよいということはなく、当の問題だけをできるだけ早くはっきりさせ、解決の戦略を組み立てることが重要である。これはすでに触れたように、短期療法(ブリーフ・セラピー)と呼ばれる戦略であり、他の心理療法のように何十回も何年も治療を続けるのではなく、ほんの数回という極めて短期間で解決するやり方である。

また、多くの場合、クラエントは何が問題なのかがよく分からないと言い、問題の中心があいまいなまま相談に来るものだ。あいまいな出来事や感情、人間関係を、セラピストとクライエントが共に誤解したり理解したりする中で問題の意味が生まれ(注:発見されるのではない)、その問題を解決するための行動を正当化することが可能となる。治療的関係は、セラピストとクライエントが協力して目標を定め、解決に焦点を当てた言語ゲームなのである。

もう一度整理すると、「面接 → 問題の聴取 → 悪循環の図式化・説明 → 介入:解決策の説明 → 実践」という手順となる。面接においては偽解決による悪循環と、その「例外」を発見することにポイントを置く。悪循環が繰り返される毎日の中にも、悪循環が生じなかったような「例外」の状況が、必ず一つや二つはあるものだ。だとすれば、この「例外」は悪循環を断ち切るための材料に使えるはずである。

戦略が決まったら、クライエントに悪循環の図を書いて状況を説明し、その悪循環を断ち切るための方法を指示する。介入方法には「例外」を利用する他に、様々な技法が複合的に組み合わされている。パラドックスを利用したり(治療的二重拘束)、意味づけを変えたり(リフレイミング)するやり方はその代表である。また、介入の指示を遂行しやすくするために、治療者が来談した家族独自の行動、言語上の癖を使ったり(家族語の使用)、来談者より低い姿勢で臨んだり(ワンダウン・ポジション)することも重要である。

ダブル・バインド理論を応用(逆利用)し、パラドックスを含んだ指示を様々な形で与えることをパラドキシカル・アプローチという。例えば、親にことごとく反抗する少年に向かって「反抗せよ」と指示すれば、この少年はダブル・バインドの状況に立ってしまうことなる。反抗すれば治療者(または親)の指示どおりになってしまい、反抗できなかったことになる。反抗しなければ、家族にとっての問題はそれで解決である。反抗してもしなくても治療者にとっては思うつぼであり、最初から反抗する余地のない選択を迫っていることになるのである。これを治療的二重拘束という。パラドキシカルな指示によって特定の行動を取らざるを得なくなれば、偽解決による悪循環を断ち切ることが可能になる。悪循環さえ断ち切れれば、問題を感じさせていた言語ゲームのルールは変わり、後はシステム論の原理によって、家族システムは自動的に安定化へ向かう、というわけである。

パラドキシカル・アプローチと並んで重要なものに、リフレイミングという方法がある。リフレイミングは「再意味づけ」と訳され、構成主義的な心理療法における中心的な技法である。この技法はMRI以外の家族療法でも広く多用されており、構造派のミニューチンはリラベリング(再呼称)、ミラノ派のパラツォーリはコノテーション(言外の意味付与)と呼んでいる。要するに、起きた事実は事実として認めるが、その事実を背後から支えている枠組みの方を変えることにより、全体としての意味を変えてしまう技法である。

これは言語の意味が使い方や文脈によって決まるという、言語ゲーム論が背景にある。例えば「毎日、子どものやることに対して怒ってしまうんです」と悩む母親に対して、「よほどお子さんを愛しているんですね」とか、「毎日って言いましたが、一日に1回しか怒っていないわけでしょう。日に何度も怒ってしまう方もたくさんいますよ」などと言えば、怒っているという事実自体は変わらないのだが、その事実の意味は肯定的に変わってしまうことになる。「優柔不断で、なかなか物事を決められないんです」という人には、「慎重な人なんですね」と言えば、ニュートラルな方向へリフレイムしたことになるのだ。

家族療法の目的は、家族にとっての現実(固定したシステム)を、新しい現実に変えること、それによって問題を解消することである。家族の現実は家族のコミュニケーションによって構成されているので、このコミュニケーションのパターンをパラドックスによってずらしたり、リフレイミングによって意味を変えてやれば、家族の現実は新しい言語ゲームに変更される。こうして問題は解消されるのである。


家族療法の可能性

家族療法は非常に強力な心理療法である。一見すると、何となく騙し討ちのようにも思えてしまい、こんなやり方が本当に心の問題を解決できるのかという疑念も残る。しかし、その威力は数多くの臨床例が示しており、いまや心理的な治療においては欠かせない技法となっている。また、この方法は理論さえ理解できれば、誰もが日常の中で応用できるというメリットもあるのだ。