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03. 認知行動的アプローチと心理療法

認知行動療法とは何か?

認知行動療法とは、歪んだ内的規範に基づく不合理な思考と行動のパターンを治すために、この内的規範そのものを改変する作業である。内的規範が歪んでいれば、様々な精神疾患を引き起こす。そこで、こうした内的規範の歪みを修正するために、認知や思考に直接働きかける認知的アプローチ、行動パターンに直接働きかける行動的アプローチが有効となるのだ。前者は認知療法や論理療法として、後者は行動療法として独自に発展してきたのだが、認知的アプローチと行動的アプローチは相補的関係にあるため、最近では両者の方法を統合した認知行動療法が主流となりつつある。

認知行動療法は、現在、精神科医が利用している心理療法としては最も人気があると言える。精神分析を批判しつつ登場した行動療法は、この五十年の間に着実に実績を積み上げ、認知的アプローチを取り入れることで、さらに強力な技法へと進展してきているのだ。認知療法がうつ病に有効であることも、数多くの症例で証明されている。うつ病の治療は薬物療法が主流だが、不必要な「〓ねばならない」思考に支配され、それが原因でうつ状態になる人は少なくない。そうした人たちには薬だけでなく、内的規範を修正することが重要な治療となるのである。認知療法も行動的アプローチを取り入れているので、認知療法と行動療法は独立した心理療法と捉えるべきではなく、認知行動療法の二つの側面と見るべきであろう。


実験心理学と行動療法

認知行動療法は実験心理学の理論に基づいているため、その発展は心理学の歴史と深い関わりがある。特に行動療法は「条件づけ」の考え方に基づいており、行動主義的な学習理論を無視して考えることはできない。行動主義では人間の行動を様々な刺激に対する反応と考え、認知構造という心の中を考えるような発想は退けられていた。どんなに複雑な行動でさえ単純な刺激に対する反応に還元することができるので、個々の「刺激〓反応」を予測できれば行動を解明することが可能だと考えられたのである。

二十世紀前半の心理学は行動主義の影響が非常に強く、ワトソンらは意識体験を非科学的な主観的体験として排し、心理学は厳密な行動科学であるべきだと主張していた。五十年代以降になると、スキナーは精神病者の治療にオペラント条件づけが利用できないかどうかを研究し、はじめて行動療法という言葉を使っている。また、アイゼンクは行動療法を人間の行動や情動を学習理論によって改善する試みとして定義し、精神分析よりも効果的な心理療法だと主張したのである。

その後、行動療法は様々な学習理論に応じて、多様な発展を遂げることになった。例えば、ウォルピは古典的条件づけを利用し、「系統的脱感作」という方法を開発している。これは、特定の刺激に対する不安を示す神経症に効果的であり、高所恐怖症であれば、まず自律訓練法などによって自分でリラックスできるように訓練する。その後、高いところをイメージしてもらい、同時にリラックスするようにする。これを繰り返して練習し、高いところでもリラックスできるように条件づけるのである。これが様々な恐怖症に効果的であることは言うまでもないだろう。

また、オペラント条件づけを利用したトークン・エコノミーという方法もある。これは単純に言えば、望ましい行動をした時には褒美(トークン:代理貨幣)を与え、その行動を起こす動機を強化することで、問題になっていた行動を修正する方法なのだ。これはアルコール依存症のような生活習慣に関する問題には最適である。他にも様々な行動療法が開発されているが、ある行動を修正するために条件づけの原理を使うことに変わりはない。

一方、行動主義が主流であった心理学に対して、六十年代以降、人工知能研究の影響によって、心を情報処理システムとして捉える新しい考え方が登場した。それが現在の認知心理学である。外部における生体反応の研究が観察可能な領域であるのに対し、生体の内部、精神の内的世界における過程は観察不可能であり、物理的には調べようがない。それは物理的な身体の反応のみを対象とした行動主義心理学と違い、心の内側にある認知構造を記述しようとするものであった。しかし、それは認知過程を機械論的なモデルとして記述し、それを実験的に検証しようとするものであったので、内省による意識体験や表象、主観的な意味づけなどは度外視されていたのである。

それでも、こうした新しい理論の登場は、認知行動療法の発展に少なからぬ影響を与えることになった。行動療法においても認知的アプローチが重視され始め、その結果として認知行動療法が生まれたのである。行動療法に最初の衝撃を与えたのはバンデユーラの行動変容モデルであり、それは行動変容過程における予期や判断など、個人の認知的活動を重視するものであった。予期が行動をコントロールしていることを強調したバンデユーラは、「〓すれば〓できる」という予期への確信、すなわちルフ・エフィカシー(自己効力感)が測定可能であることを主張した。これによって、セルフモニタリング(自己監視法)等、セルフコントロールの技法も整っていくことになり、行動療法に認知的アプローチを取り入れることが可能となったのである。


認知的アプローチの展開

行動療法が認知的アプローチを取り入れ始める以前に、すでに認知的アプローチによる心理療法は
独自の発展を遂げていた。認知療法家たちによれば、認知的アプローチの原点は、アドラーやホーナイの影響を受けた自我心理学の分析家にある。それは自我心理学が内省的な技法によって「人格」の改変を目指しており、洞察療法とも言える面を有していたからだ。厳密に言えば、最初に自我の分析に注目したのはフロイトであり、自我心理学は後期フロイトの理論を受け継いで発展した精神分析の主流派であることを忘れてはならない。そして自我を内省することは、どのような認知構造を持っているのかを知ることと不可分な関係にあるのだ。その後、精神分析の訓練を受けていたアーロン・ベックとアルバート・エリスの二人は、実生活での宿題を課すなどの広範な行動的技法を取り入れ、認知的・行動的技法が治療に有効であることを主張するようになったのである。

エリスは神経症の原因を不合理な信念(イラショナル・ビリーフ)にあるとし、その修正を治療目標とした論理情動行動療法(論理療法)を開発した。例えば「他人と話せば必ず嫌われる」という不合理な信念を持っていれば、彼は「黙っていなければならない」「顔を合わせないようにしなければならない」と考え、対人恐怖症となるかもしれない。この場合、他人と話をしても、いつでも嫌われるわけではないこと、「必ず嫌われる」というのは思い込みに過ぎないこと、などを自覚できれば、特に他人と話すことが怖いとは思わなくなるだろう。不合理な「〓ねばならない」を修正することで、対人恐怖を治すことが可能になるのである。

論理情動行動療法の基本的な考え方をABC理論という。Aは出来事(activating event)、Bは考え方や受け取り方(belief system)、Cは結果(consequence)を示している。何かの出来事(A)に対して、それがすぐに感情や悩みという結果(C)を生じさせるのではなく、その出来事をどう考え、受け取るか(B)が結果としての悩みを生み出していると考えるのだ。したがって、Bを変えることで、Cを変えることができるのである。そのための具体的な方法モデルを、エリスはABCDEモデルと呼んでいる。Dは反論(dispute)、Eは効果(effect)のことである。まず、Aの出来事がCの結果を必然的に生じさせるという考えに対し、セラピストはDの反論を行い、クライエントを説得する。するとBの考え方、不合理な信念が変化し、Cの悩みや不安が消滅または軽減されという効果(E)に達するのである。

一方、ベックの認知療法では、病気の原因を認知的構造の歪みによるものと考える。この経験や行動を組織化する認知的構造をスキーマと言うのだが、認知療法では症状構造(表面化した問題)と基礎にあるスキーマ(推測された認知構造)という二つの水準に焦点を当てて治療を行うのだ。スキーマは日常生活において情報を選択・統合し、思考や行動を規定しているものであり、「認知の歪み」もスキーマによって生じるため、これを修正することが治療の目標となる。治療目標を患者と共同で設定することで、問題となっているスキーマを自覚し、それを変えていくのである。

例えば、すぐに決めつけたり、特定のことを過大視する、根拠もなく勝手に信じ込む、何でも自分に関連づける、白黒をはっきりさせようとする、等々の傾向があれば、そこには認知的枠組みの歪みがあると考えられる。そのため、「〓したい」という欲望があっても抑圧し、その歪んだ認知的枠組みに従って「〓ねばならない」と感じることになる。要するにスキーマ(認知的構造)の歪みとは、内的規範の歪みに他ならないのであり、この歪みがエリスの言うイラショナル・ビリーフを生み出しているのである。だとすれば、この内的規範(認知的構造)の歪みが修正されれば、不必要な「〓ねばならない」という思考から解放され、「〓したい」という感情を素直に受け止めることが可能となる。そこで認知療法では、患者の考え方に根拠はあるのか、そうしなければ本当に不幸になるのか、といったことを考えさせたり記述させたりしながら、認知的構造の歪みを修正するのである。

しかし、内的規範は幼少の頃から身体化され、ほとんど無意識のうちに従ってしまうほど身体に染みついたルールである。それを単純に論理的な間違いや矛盾を指摘しても、なかなか修正できるものではない。そこで行動的アプローチが有効になるのだ。すでに述べたように、行動療法は「条件づけ」を利用した方法であり、例えば「〓ねばならない」という強迫観念を治すには、「〓ねばならない」行為とは反対の行為を何度も実行させ、それができた時には褒めたり、報酬を与えたり、あるいはリラックスした状態になるよう訓練するのだ。そうすると、次第に「〓ねばならない」行為をしなくても大丈夫であること、むしろそうしないほうがいいと感じるようになるだろう。このように、行動療法を認知療法と併用することで、習慣化し、強く身についている内的規範をも修正することが可能となるのである。


認知療法とうつ病

うつ病はベックが最初に認知療法の効果を証明したこともあり、認知療法の中では最も研究されてきた領域である。うつ病に認知療法が効果的だという事実は、現在では広く認められている。うつ病者は自己、世界、将来に対して否定的な見方をしており、この歪みの原因であるスキーマを調べ、それを修正していくことが治療のポイントとなるのだ。うつ状態を生み出しているのは非機能的なスキーマによる自動思考であり、その多くは幼少期の家族関係によって形成されたものである。しかし、認知療法では精神分析のように過去にこだわることはなく、現在の状態だけに焦点を当てる。まずベックは、うつ状態の程度を調べることが重要だとし、否定的な見方の程度をチェックできる「ベックうつ評価尺度」という自己評価法を開発している。そして治療計画を共同で決め、面接や面接外での宿題を通して適応的な行動を練習し、非機能的なスキーマを修正していくのである。


人格障害の認知療法

DSMにおける第〓軸の障害、つまりうつ状態や不安などの症状を軽減させるには、標準的な認知療法を用いれば十分効果的である。うつ病や全般性不安障害はこの方法で治療が可能であり、そうした急性の症状が消退した後は、基本的に病前の認知様態に戻ることになる。うつ病から回復した患者の多くは、否定的な見方をやめ、自分を責めることもなくなるのだ。しかし、病前の認知様態に戻っても、まだ非機能的な信念があり、長い間に渡って習慣化している場合、それは人格障害だと考えることができる(DSMでは第〓軸の障害)。第〓軸診断のないうつ病者は、うつ状態を何とかしたいと訴えるが、第〓軸の患者は「これが私なんです」と、それが普通の状態であることを主張する。中核的な非機能的信念(スキーマ)は根深く凝り固まり、その人の日常的な行動や思考を規定しているからである。

構造化して凝り固まったスキーマは、容易に変化させられるものではなく、人格障害の認知療法は多くの時間と労力が必要となる。また、中核的スキーマだけでなく、条件つき信念を取り出すことも必要である。それは、「もし他人が私に関心を示さなければ、愛されていないということだ」など、「もし〓ならば」という言い方で表される。また、患者の話した大望や野心から、基礎となる目標を取り出すことも重要である。「私は誰からも愛されていることが重要だ」という患者の目標が取り出せれば、「そんなことは不可能だ」と納得できるように治療計画を立てることができる。そして、人格障害の認知療法において特に重要なのは、治療者と患者の関係である。

ベックとフリーマンは次のように述べている。「認知療法の基本原則の1つは、共同と信頼の意識を患者に教え込むことである。治療関係の確立は、おそらく急性症状期におけるよりも慢性の人格障害の場合に、いっそう重要になろう。」(ベック,フリーマン「認知療法の一般原則」ベック,フリーマン他『人格障害の認知療法』)。急性の不安やうつ状態、つまり不快な感情がなくなってくると、患者の治そうという動機づけが低下し、治療に協力的でなくなることが多いという。むしろ、自分が変わることへの不安のほうが強くなり、治療を避けたがる傾向にあるのだ。ただ、そうした「抵抗」も診断の資料になるので、治療者は抵抗や転移に関わる徴候に注意していなければならない。また、治療者は批判的にならないようにし、患者に共感的であることが重要となる。急性の障害におけるより、さらに緊密で温かい治療関係が必要であり、治療者は患者が見習えるような存在となることが望ましいのである。

また、人格障害が固定された認知構造、行動様式を特徴とするものであるなら、行動的技法がより重要性を帯びてくることは言うまでもない。例えば、行動的リハーサルやロールプレイ、あるいはイメージの活用などが効果的であるという。行動的技法が認知の再構成を引き起こし、認知的技法が行動の変容を可能にする。認知的技法と行動的技法が相補的な役割を果たすことで、非機能的なスキーマを修正し、より適応的なスキーマにすることができるのだ。


認知療法から見た人格障害の原因

人格障害をスキーマという認知構造の歪みとして捉えることは、治療上、非常に有効なモデルになる。人格という概念がその人特有の思考や行動のパターンを指すものであるなら、認知療法の考え方はかなり合理的で説得力のある理論だと言えるが、何故そのような認知の歪みが生じたかという問題については、十分に論じられているとは思えない。ベックは重要な他者との相互強化的な行動様式の循環を指摘しているが、その一方では素朴な生物学主義を取り入れて、不要な仮説を導入している面もある。人間は進化論的な長期的目標(種の保存など)を持っており、原初的な環境下では有効であった略奪や競争のような方略が、高度な文化には適合しなくなっている。そのために人格障害のような行動が生じるのではないか、と控えめに述べているだけなのだ。

しかし、このような仮説を導入しなくとも、この問題は実存論的に考えれば十分納得のいく説明ができる。それは、幼少期の対人関係、特に両親との関係の中で、いかなる行為が愛されたり、賞賛されたり、あるいは叱責されたり、殴られたりしたかによって、その経験的な積み重ねが習慣化され、そのルールを身体化し、その人特有の思考と行動のパターンを決定するスキーマ、内的規範を形成したのだと考えればよいのだ。ベックも外傷体験の反復、重要な他者と関連する方略によってスキーマが固定されていると述べているのだが、その他者との関係性がどのようなエロスや不安と関わっているのか、そうした実存論的な視点が弱いために根拠の薄い生物学主義に陥っているのである。確かに認知行動療法では、原因の追究はあまり問題ではないと考えられている。しかし、人格障害の治療で治療者との関係性が重要であることを考えれば、何故そのように不合理な信念が習慣化され、歪んだスキーマ、身体化されたルールが形成されたのか、そこに眼を向けることはやはり必要なことだと言えるだろう。