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02. フロイト『精神分析入門』第二講 錯誤行為

錯誤行為の研究から話を始めましょう。錯誤行為とは、たとえば、言い違い、書き違い、読み違い、聞き違いなどはこの行為に当てはまります。また、人名や計画が思い出せないなど、ある瞬間だけをもの忘れする現象や、過失がともなう置き忘れ・紛失などもそうです。「いま述べた現象にはすべて内面的な類似性があって、これらの現象は、ドイツ語ではverという「反対」または「間違い」の意味を示す前綴りがつく言葉で表現されています。この種の現象はどれも重大な性質をおびたものではなく、一時的のもの、人間の生活にとってあまり意味のないものと考えられています」(p.18)。こうした現象は取るに足りないものだ、と考えるとしたら、それは間違っています。気づかれないくらいの眼差しや、ちょっとした身のこなしなど、かすかな徴候から重大なことが理解できる例は数多くあるのです。

錯誤行為は疲れている時や頭痛がする時などにもよく起こります。そのため、錯誤行為の説明に生理学的根拠を持ち出し、単なる不注意だと主張する人もいるでしょう。しかし、錯誤行為のすべてを不注意説に帰するわけにはいきません。錯誤行為は、疲れていない人、放心も興奮もしていない人にも起こるのです。それに、人間の行為というものは、ほんのわずかな注意しか払われていない時でも、自動的に、確実に成し遂げられることも多いのです。散歩している人は、どこへ向かって歩いているのかほとんど意識していなくても目標に辿りつき、歩き違いをすることはないでしょう。練達のピアニストも、いちいち考えなくとも弾き違えることはありません。「錯誤行為という不運の多くは、しくじりをしないようにと注意する時にこそ起こってくるのです。つまり、必要な注意力を絶対に他にそらしていない時にこそ起こるのです」(p.21)。

錯誤行為の中で、最もわれわれの意図に添うものは「言い違い」です。なぜ正しい言葉の代わりに、何千とある他の言葉のうちただ一つを選んで口にするのでしょうか。ある言葉の代わりに、それにひどく似た言葉が口をついて出ることはよく起きる言い違いですし、最も目立つのは、自分の言おうと思っていた言葉の正反対のことを言ってしまう言い違いです。例えば、ある衆議院議長は会議を開くにあたって、「諸君、私は議員諸氏のご出席を確認いたしましたので、ここに閉会を宣言します」と言ってしまいました。

言い違いの効果という面を考えてみると、ある種のものでは「言い違いが表明している内容そのものに意味がある」と言えそうです。つまり、「言い違いの結果起こったことは、それ自身の目的を追求している一個の独自な心理的行為であり、またある内容と意味とを表現するものとして理解されてしかるべきものだということです」(p.25)。錯誤行為そのものも正当な行為であり、ただ予期され、意図されていた別の行為にとって代わっただけなのです。先の例で衆議院議長が開会宣言の代わりに閉会宣言をしてしまったのも、議長は形成が思わしくないので、閉会してしまいたいと思っていたのです。

以上のように、錯誤行為にも意味があるとすれば、生理学的な原因は捨ててしまって、錯誤行為の意義や意図について純心理学的な研究をする価値があることになります。詩人は言い違いのような錯誤行為をわざわざ創作し、何かを読者にわからせようとしています。こうした問題については、精神医学者や言語学者よりも、詩人に学ぶところが多いのです。