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01. はじめて精神分析を知る人へ

はじめて精神分析を知る人へ

精神分析とは、フロイトが考案した精神的な病を治療する心理療法である。一般のイメージでは、精神分析は無意識の欲望や不安を明らかにするものだが、それは勝手な解釈で好き勝手なことを言っているだけではないか、といった疑念とともに受け取られている。しかし、フロイトの考えでは、無意識を明らかにし、それを患者に伝えること自体に神経症を治す力がある。

フロイトが精神分析を考え始めたのは19世紀末だが、当時のパリでは、ヒステリー患者に対して催眠を使って治療するのが主流となっており、その中心人物はシャルコーであった。ヒステリーとは、ある不安が原因となって、運動麻痺や痙攣、痛みなどが生じる病であり、身体的な苦痛が心理的な不安の代償となる神経症である。催眠療法では、その身体症状を催眠状態において暗示で取り除く。母親が子どもに「痛くない、痛くない」と言って慰めるように、下半身麻痺のヒステリー患者に「歩ける、歩ける」と暗示をかけることで、実際に歩けるようになるわけだ。

だが、催眠暗示では根本的な不安が解消されることはないので、一時的に歩けるようになっても長続きしない。そこで原因となった不安そのものを解消する必要が出てくるのだが、この試行錯誤の中で、フロイトはある画期的な発見をすることになった。それが、不安の原因となった記憶を思い出すだけで、症状が消えてしまう、ということなのだ。例えば、下半身麻痺のヒステリー患者が学校でいじめられていたとすれば、歩けなくなったのは学校へ行っていじめられないためだ、と考えることができる。そしてこのことを本人が自覚すれば、それだけでヒステリーは治り、歩けるようになる。

無意識に抑圧された記憶を意識化すれば、神経症の症状は治る。そこでフロイトは、抑圧されていた記憶を意識させるために、自由連想という方法を考案する。そのやり方は、リラックスした状態で思い浮かぶイメージについては何であれ、考え込まず、思い浮かぶままに分析家に語り続けるという方法であり、これによって無意識は歪められずに意識化される。また、フロイトは夢の内容が無意識に抑圧されていた願望の現れだと考え、夢分析が無意識を意識化する上で非常に役立つのだと主張した。こうして、精神分析療法は画期的な心の治療法として注目を集めるようになったのだ。

しかし、フロイトは精神分析を続けるうちに、ある困難にぶつかることになった。それは患者が自由連想の途中で、わざわざ核心に触れないように話題を逸らしたり、時にはあからさまに抵抗を示し、治療を妨害するような態度をとったからだ。それは、まるで「治りたくない」かのような反応であった。勿論、患者は口では「治りたい、早く何とかしてくれ」と言っている。そこでフロイトは、抑圧されたものだけが無意識なのではなく、抑圧しようとするものも無意識であることを確信し、新しい理論の必要性を感じはじめた。

そもそも神経症そのものが不安に対する防衛反応なので、病気が治れば不安に直面せざるを得なくなる。上述した下半身麻痺の患者は、歩けるようになれば、学校へ行っていじめられるかもしれない。その不安が抵抗を生じさせるのだ。こうした現実的な不安が問題であるなら、まだ転校するなり、逃げ道はある。だが、過度に厳しいルールや不合理な価値観を身につけていれば、そこから生じる不安に現実的な逃げ道はない。例えば、性的な欲望が抑圧されていた場合、厳しい道徳規範を身につけた人にとって、それを認めることは大きな不安となる。「性的な欲望を抱く人間は必ず嫌われる」という無意識の法則が、抵抗を生み出すのである。

このようなルール、道徳規範は、父の命令を取り入れ、内面化されたものであり、フロイトはこれを超自我と呼んでいる。子どもと母親の愛情関係は、父親という第三者によって葛藤が生じ(エディプス・コンプレックス)、これをきっかけにして、子どもは父親の命令(~せよ、~ねばならない)を取り入れるのだ。親の命ずるルールが歪んだものであれば、不合理なルールを身につけ、神経症的な性格になるだろう。したがって、抑圧された無意識の欲望だけでなく、身につけてしまった不合理なルールの無意識性に気づき、自覚することが重要になる。こうして、自我の性格、無意識的な防衛を自覚することが、精神分析の新たな課題となったのである。