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フロイト「自己を語る」Ⅵ

Ⅵ.フランスでは精神分析に対する反感が強かったが、文学にたずさわる人々は関心を示していた。それは精神分析が夢の解釈によって、医師の問題の枠を超えていたからだ。私自身、医師としての関心以外の領域に踏み出したことがある。その一連の提唱はエディプス・コンプレクスが偏在するということから発している。たとえば、ハムレットはエディプス的欲求を形作っている二つの行為を、一人の人物に復讐することで果たすという課題の前に立っている。このように、人や芸術家の創作一般について、精神分析に手をつけることができる。空想世界は、快感原則から現実原則へと苦しい移行をしなければならない時、現実生活では否定しなければならないような欲動の充足に対する代償となる(芸術作品は無意識的願望の空想による充足である)。芸術家は、神経症者と同じように、満たされない現実世界から空想世界へと引きこもる。ただ、いつも他人が関与していることを計算に入れ、他人の無意識的な願望興奮を満足させることができるのだ。

私としては宗教心理学への寄与のほうが高く評価している。一九〇七年、私は強迫行為と宗教的行為や儀礼の間に驚くべき類似性があること、宗教は世界的な広がりをもった強迫神経症であることを確証しはじめた。一九一二年、『トーテムとタブー』において、未開人の間ではより強い近親相姦への嫌忌が見られること、最初の道徳的制限が現われる形式としてのタブー的禁制が、アンビヴァレンツといかなる関係をもっているかを検討した。また、アニミズムにおける「思考の全能」をあらわにし、強迫神経症がその前提になっていることを示した。なによりも私を引きつけたのはトーテミズムである。トーテミズムでは、トーテム(崇拝する動物)を殺さないこと、同じトーテム種族の女性は性的に用いないこと、という二つのタブーがある。これはエディプス・コンプレクスの内容をなす、父を除き去り、母を妻とするという二点との一致を示している。トーテム獣は父と同じものであり、トーテミズムの中核には父親を殺すことがある。

「この原遊牧群の父親たるものは絶対的な権力をもった専制者としてすべての婦人をわがものとしており、自分にとって危険な競争相手となる息子を殺してしまったり追放したりしていた。ある日のこと、これらの息子たちは力をあわせ、自分たちの敵であり、しかも同時に自分たちの理想でもあった父親を征服し、殺し、一緒になって食ってしまったのである。そのような行為をした後に、彼らは互いに邪魔をしあったので誰もその遺産をつぐことはできなかった。この失敗と悔いとの影響下に、彼らは互いに忍びあい、このような行為をくりかえさないようにするためトーテミズムの規約の下にひとつの同胞民族をつくりあげたのである。そして、そのためにこそ父親を殺すことにもなった婦人を所有することは一切これを禁じてしまったのである。彼らはいまや他民族の婦人にむかうことになった。これが、トーテミズムと密接な関係のある異民族間の結婚の起源なのである」(p.474)。

その他、さまざまな領域に精神分析は応用されている。ランクは神話を児童期のコンプレクスに帰しているし、象徴論にも多くの研究者がいる。教育学では、児童の性生活と精神発達の研究は、多くの教育者の注意をひくようになった。最早、精神分析は医師だけのものではない。事実、医師にしても特別な教育を受けていなければ、精神分析に対しては素人なのだ。「一方、非医師であろうと、充分なそれ相応の準備教育をうけ、また、ときどき医師の力をかりうるということをするならば神経症の精神分析的療法をすることはできるのである」(p.476)。