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フロイト「自己を語る」Ⅳ

Ⅳ.強制することと(知っているのだと)保証することは、抵抗を克服する上で欠くことのできないものであった。しかし、それは期間という点であまりに労力が必要になるので、今度は「自由連想」のおもむくままに語るという方法に変更した。その方法とは、意識的な目的観念から離れている時、心に浮かぶことは何でも言うように要求するのだ。その際、患者は批判的な抗議の気持ちを持たないようにして、心に浮かんできたことは何でも、これはさほど重要ではないとか、関係がない、無意味だ、などと感じても話さなくてはならない。「自由連想といっても現実には自由ではないということである。患者はその思考の活動を特定のテーマに向けてゆかなくとも、分析的な状況の影響下におかれざるをえないのである」(p.450)。

自由連想においては、抵抗は二様の現われ方をする。第一に、批判的な抗議の気持ちをもつことによって。この気持ちを克服して精神分析の原則を守ったとしても、第二に、抑圧されたものが思い浮かばない、という形で抵抗が生じる。そして抵抗が大きいほど、代理的な思いつきは本来のものから遠くなっている。しかし、抵抗が弱ければ、その暗に指示するものから抑圧されたものを推測できるし、抵抗が強くとも、テーマから離れた思いつきに即して、抵抗の性質を認識し、患者に知らせることができる。それは抵抗の克服の第一歩なのである。「かくて分析という仕事の枠内に解釈の技術が入ってくることになった」(p.451)。自由連想という方法は、患者に少しも強制しないし、現実の現在との接触も失わせないし、神経症のどの契機も見過ごすことも、自分の予期を持ち込むこともない。「分析の進行や資料の整序を決定することは本質的には患者にまかせてある」。

精神分析療法では、実際の関係では説明できないような強い感情的な関係が患者に生じてくる。情熱的で官能的な恋着から、反抗、怒り、憎悪といった変化を示すものもある。「感情転移」と呼ばれるこの現象は、快癒への願望の代わりに生じてくる。それが適度な優しさにとどまっているなら、医療の効果を助け、分析のばねとなるだろう。しかし、後になって情熱的になり、あるいは敵対的なものに変われば、抵抗の道具になってしまい、治療効果は危殆に瀕してしまうのだ。「感情転移のない分析というようなことは不可能なのである。分析が感情転移をつくるものであり、この感情転移は精神分析においてだけおこるものと信じてはならないのである。感情転移はただ精神分析によってあらわにされ、孤立化されるだけなのである。それは人間に一般的に見られる現象であり、すべての医師としての影響の効果を決定するものである」(p.452)。精神分析も他の心理療法と同じく暗示を媒介とするのだが、暗示や感情転移に治療効果の決定が委ねられておらず、それは感情転移抵抗の克服に利用される。感情転移は「抑圧された児童期の感情関係を再体験するものだ」と意識することで解消されるのであり、抵抗の最も有力な武器であるからこそ、治療の最上の道具になるのである。

また精神分析は、夢には意味があることを証明した。夢を神経症の症状のようなものとして取り扱い、その外見上の内容ではなく、個々の像を自由連想の対象となしたとき、ある成果に達したのである。顕在的な夢はその姿が歪められ、短縮され、翻訳をされたものであり、潜在的な夢の思想こそが夢の意味を含んでいる。顕在的な夢の内容は見せかけなのだ。一九〇〇年、『夢判断』において、私はさまざまな夢の解釈を試みた。夢分析によって知りえたことは、抑圧作用が夜間にはゆるめられるので、無意識の願望の感情興奮は夢とともに意識にのぼってくる、ということだ。しかし、自我の抑圧抵抗は低下していても、夢の検閲を行い、無意識的な願望がそのままの姿で現われることを禁止するため、潜在的な夢思想は意味を分かりにくく改変させるのだ。「夢は(抑圧された)願望の(変装された)充足であるということである。いまや、われわれは夢というものが、すでに、神経症の症状と同じようなメカニズムで形成されていることをみとめるのである。それは抑圧された欲動の亢奮からの要求と自我における検閲をする力からの抵抗とのあいだにおける妥協的産物なのである」(p.454)。

「夢の検閲の協力のもとに潜在的な思想を顕在的な夢の内容にまではこんでゆく過程を私は夢の作業Traumarbeitと名づけた。それは前意識的な思想の資料にたいする独特な処理の仕方であって、その構成分子を圧縮したり、心理的なアクセントのおかれるところをおこしてみたり、思想の全体を視覚的な像に変換し、戯曲化し、さらに誤解をおこさせるような第二次加工を加えることによって仕上げするのである」。夢の作業は、無意識の層においてなされる過程のすぐれた標本なのだ。夢の解釈と同じく、精神分析は、ささいな間違いや症状行為の研究をも利用する。この研究は『日常生活の精神病理学』にまとめたが、こうした現象には意味があり、解釈ができる。したがって、精神分析は精神病理学の補助科学であるだけでなく、正常な心理を理解するには欠くことのできない、基本的な心理学の手がかりとなるのである。